施設にいた時の有名人、その3

 今日はこの話題の第三弾目。やはり佐々木という50代の男のことだ。この男、軽度の知的障害がある。住まいは施設の近所のグループホームで暮らしているという。話してみるとわかることなのだが、言葉遣いが非常に荒い。どうやら施設に来る前は建築現場を転々としていたという。荒いのもそのためだ。社歴はかなり長いほうで社内ではほかの知的障害の子に荒い口調で命令することもしばしばあった。

 私が在籍したときに数度社内で盗難事件が発生した。多くは利用者のタバコが盗まれた、ある時は店舗内カウンターに置いてあったタバコを奴が盗むところを現行犯で上げたこともあった。奴は現行犯で上げられても、往生際が悪く、「俺はやってねぇ」とほざくありさま。それでも奴はこの施設で雇われ続けていた。それはいまも。普通の企業なら、発覚した時点で懲戒解雇(クビ)なのが普通だ。ほかの利用者にも迷惑かけているのだし。それでも雇用し続けた理由は、彼はほとんど休まないので施設側としては、日銭が入るのだ。どこから日銭が入るかというと、国民健康保険連合会からの補助金は一日単位で支給される。これが馬鹿にならないので雇い続けたのだ。それでも人のものを盗む癖が治るわけではないので、更衣室は普段厳重に施錠してあった。

 私も彼と一緒に働いたのだが、偉そうに知的健常者の私に大きい口をたたいて命令するので、非常に不快。しかしこうなったのには理由がある。今の若い障碍者の場合、特別支援学校(旧制度の養護学校)で障碍者としての教育を受けている。就職しても自分より若い健常者の指示に従うことを学んでいる。ところがこいつはそんな教育を受けていないので、大口をたたくのだ。障害児教育が義務教育化したのは昭和56年(1981年)の話。それ以前は今のように個別支援学級も整備されていなく、一般級にいた。もちろん授業内容も理解できない。お客様扱いがいいところ。中学を卒業しての進路も、学校側に知的障碍者の進路指導のノウハウ、受け入れる企業にもやはりノウハウがない状態だっただろう。卒業と同時に社会の荒波の中に放り出されてしまったのだろう。グループホームに入る前も、お金がなくて野垂れ死に寸前だったとか。

 またこいつだが、最近は知的障碍者も持っている携帯電話を持ってない。私の眼で見た感じでは、あいつぐらいの能力があればスマホぐらい取り扱いができるはず。しかし持てないのは、以前持っていたのだが使いすぎて、料金を払いきれなくて信用情報を汚しているのではないかと思われる。知的障碍者の場合「ものを取り扱いできても、適切に管理することは別」なのだ。彼は適切な管理ができなかった。今も未払い金があるので、あいつは携帯を持てない。「適切に管理」についてはもう一人書く予定である。